【裁判情報】フジ住宅の訴訟に関するブログ

フジ住宅が元従業員からヘイトスピーチに関する訴訟を起こされている。裁判の行方とフジ住宅の主張を本ブログで掲載する。

フジ住宅の訴訟と裁判 最新情報

今回もフジ住宅の訴訟・裁判に関する情報をお届けします。
今回はフジ住宅の裁判・訴訟の内容から、最新情報をご紹介します。なお、最新情報は公式ホームページから抜粋しています。長いので分割してお届けします。

“2 政治的見解等の配布行為との主張(第2類型)に対して
(1)被告今井の資料配布の意図、目的
本件で原告から問題とされている「政治的見解等の配布行為」(第2類型)についても、被告今井としては、第1類型のヘイトスピーチであることが明らかな資料ないし人種的民族的差別を助長する資料と特に区別して資料配布をしているわけではない。
 よって、被告今井の資料配布の意図、目的は、前記1(2)で述べたのと同じであり、社員や家族のため、顧客や会社のため、社会や国、将来の子どもたちのためといった多様な目的が不可分一体となったものといえる。資料配布は、業務とも間接的な関連性があるというのも、これまで被告らが縷々主張してきたところである。

(2)職場環境配慮義務違反とされる点に対して
原告の問題意識は、職場という逃れられない閉じられた環境において、使用者という優越的な立場から、特定の思想信条や歴史観に基づいた資料配布が大量になされることは、その内容に異論を有する労働者の就業環境を悪化させるため、違法となりうるというものである。
 一方で、さまざまな場面において、政治的な意見やそれを形成するための情報を発表したり流通させたりすることは、憲法が国民に保障する表現の自由の行使として極めて重要であり、私企業内で使用者が労働者に対してなす場合であっても、単にそのことだけで表現の自由の保護が及ばないというものではない。そのこと自体は、原告も争うものではないと思われる。
 また、被告らが繰り返し主張しているとおり、資料配布等のツールによって私企業の経営者が自身の考えや価値観を従業員に打ち出し影響を与えようとすることは、企業理念の浸透や社員教育とも密接不可分であり、企業活動の一環としても保障されるべきところである。
 結局のところ、もし社内での政治的見解の資料配布が違法とされることがあるとするならば、具体的なその配布の態様を吟味し、社員に対する記載された意見の強制や過度な押し付けがある場合に限られるであろう。
この点に関して尋問から改めて明確になったところとしては、原告にも、他の社員にも、配布された歴史等に関する資料(政治的見解等)については、読む読まないは自由であると周知され(原告31頁。同37頁でも「完全には読んでいない」と原告は述べる。今井13頁)、読まなくとも何ら不利益処遇を受けることはなく、読んだか読んでいないかを上司や会社が確認することもその手段もなく、読んだかどうかやその意見への賛否を人事査定の資料とされたりすることもなく、歴史等に関するテーマについて感想文を書くようにと指示されることもなく(原告51、52頁。菊池6頁。植木1~3、24頁。今井13頁)、配布された資料を社内で捨ててしまう社員もいる(原告11頁)といった点が重要である。
 こういう配布等の態様を見ると、資料の閲読自体にも強制はなく、記載の意見に関しても何ら押し付けはない。社員としては、受け取った資料はせいぜい表紙や題名を見て内容を確認し、歴史等の記載テーマに関して関心が持てなかったり記述の論旨に賛同できなければ、読まずに処分するという対応が可能である。捨てるにあたり、目立たないようにするという配慮をする者がいたとしても、それが資料配布の違法評価を左右するものとは到底いえない。
 経営理念感想文では、被告今井の配布資料の内容に賛同する意見が多く掲載されるとしても、それは寄せられた感想文の実態を反映したものであり、それをもって意見の強制や押し付けがあると決めつけられるのは失当である。また、経営理念感想文集についても、閲読や感想表明は義務付けられておらず(今井13頁。乙22・29頁)、歴史等に関する資料についての感想文で原告が反発を覚えるものがあれば読まなければ、それにより特段の不都合はない。
 原告は、社員の感想文が被告今井の思想に賛同する内容ばかりであり、それが自分にとって圧迫的に感じたとの旨を主張しているが、社員が被告今井に感化されている実態が感想文集にそのまま表れているのであり、それは、思想の伝播、それを受けた呼応、感想文集という形での伝播呼応状況の発表の全ての局面において被告らと社員らの自由領域の問題であって、そういう実態自体を問題視するのもおかしい。
 原告は、配布資料の量的な面にもっぱら着目し、それを資料配布の違法性の中核とするようであるが、内容自体に問題がなく、相手への強制でもない表現が、量的な理由のみで違法評価された例はかつてないと思われる。職場というだけで、そういう表現の「内容規制」が許容されるのかは、大いに疑問である。”

次回はこの続きから紹介したいと思います。